お城探訪 【鮫ヶ尾城】
どうもこんにちは僕です。
昨今、だいぶ暑さも和らぎお城へ行くには絶好の季節になってきました。
※10月初旬
行くしかない、そう思ったら以前から訪問予定に入れていた新潟の城へ行くことにした。
上杉景虎自刃の城、
鮫ヶ尾城!!
上杉景虎といっても、あの戦国最強の謙信ではない。
養子の方の景虎、北条氏康の七男である北条三郎が謙信の養子になり景虎を名乗った。
幾度となく関東征伐を行っていた謙信と北条は、言わば確執が大きかったが、この養子縁組で上杉北条の同盟が締結される。
行く前にぜひ読んでほしい本がある。
こちらを見てから是非訪問してほしい。
この城の終焉を飾った主人公の物語だ。
※ちな、鮫ヶ尾城は隣接する信濃からの侵攻に対する重要な拠点の一つとされ、川中島の戦いの発生で武田信玄に対して、上杉家の本拠地春日山城を守る上でも重要な城だった。
謙信没後の家督相続争いである御館の乱で、敗走する上杉景虎がこの城で自害し、越後を二分する内乱の勝敗が決した場所でもある。
遺跡からはこの時の戦火によって焼けた陶磁器や炭化したおにぎりが多数出土している。
この御館の乱によって廃城になり、戦国時代末期の城の様子をそのまま残した遺構となる。
今回も前泊しての遠征となる為、いつものスーパーホテル上越妙高さんに泊まった。
今回も朝食を見て欲しい。

かなりバランスの取れた内容だと思う。
メインディッシュがニシンと言うのがちょっと悔しい。
食べてる途中に、自分より先に朝食を済ませた客がサバがニシンになってるわ!って言っててサバが良かったと思った。
そして、食べ終わった後よく見たらソーセージになっていた。
悔しい。
ソーセージが良かった。
そんな事を思いながら、ホテルを出た。
今回も前回良かったレンタサイクルを駅前で借りた。
全くおんなじ自転車だった。

今日も頼むな!っと心で相棒に念じて、鮫ヶ尾城へと向かう。
道のりは田んぼを突き抜けていく非常に気兼ねなく行けるルートだ。
と思っていたら、地味に傾斜があり電動自転車では無いこの自転車ではかなり厳しい道のりだった。

道中、吹上遺跡なる場所があった



ブタクサの群生地
道中、観音平古墳群なる場所があった

入り口には柵が設けられていて入るまでには至らず

鮫ヶ尾城の看板が
写真で見るとそうでもないが、実際は斜面になっていて45度程の傾斜だった。
自転車押して登るのしんどい
鮫ヶ尾城は山城だが、登る手前に総合案内所がある


案内所には、係りのお婆ちゃんがおり丁寧に登り口を案内してくれた。
あいにくの曇り空で、今にも雨が降りそうだった。
そしたら、お婆ちゃんが雨降らないと良いけども、気をつけてねと送り出してくれた。
僕は、僕は、
お婆ちゃんの優しさに触れて良い出会いをくれた鮫ヶ尾城に感謝の念を抱いた。
ありがとうございます!行ってきます!
そう大声を張り上げて、案内所にある便所に駆け込んだ。

登城口には大きな池があり、お爺さん達が釣りをしていた
途端にポツポツと雨が降ってきた、
クッ、早速かよ。
ついてねーぜ。
まったくまいったぜ。
傘ささなきゃじゃねーか。
ふざけてんのかよ。
どうしよう。

山道を登って行く。
今年は全国で熊の出没が相次いでいる為、かなりの緊迫感があった。

写真だと、堀切が全くわからないがかなり切れてた

カラフルなキノコもあちこちに生えている

ちょいちょい傾斜がキツい斜面を登る








二ノ丸


本丸

本丸からは、頚城平原が一望出来、春日山城から箕冠城方面まで見渡せる。


米倉、ここから炭化した米が出土



下山する



雨で艶が出た青々とした葉っぱは天ぷらにしたら美味しそう

突如現れる人工物
そしてまた案内所に戻った。
道中誰一人人に会わなかった。
案内所がある場所は、斐太遺跡といわれ弥生時代の竪穴式住居が密集していた場所だ。
この付近は弥生時代から戦国時代までの遺跡が近場にある。
鮫ヶ尾城の麓には斐太神社がありお参り。


折角ここまで来たのだからと言う事で、上杉景虎のお墓がある勝福寺へ行った。
お寺の方に、挨拶をしてから上杉景虎さんの像を見る。



景虎さんは、どの様な気持ちで養子になり、どの様な気持ちで自刃したのか。
軍神と畏れられた上杉謙信の養子になったとは言え、人質に等しい意味合いもあっただろうから嬉しさもあるが、哀しさもあっただろう。
御館の乱勃発時は景虎優勢であったのが、いつの間にか逆転され敗走するという。
そこは平和な今の時代を生きる我々現代人には、想像が出来ない感情だっただろうと思う。
関東の漢が一人雪国で命を燃やした場所、鮫ヶ尾城。
手を合わせて、帰路に着こう。
この頃にはもう雨も止んで、青空も出ていた。
清々しいほど空が青くて、一面田んぼの風景はやっぱり良い。
最高である。




そんな鮫ヶ尾城探訪だった。
新幹線まで時間があったから、駅前のコメダでまったりな。
ほんと上越地域とっても良い場所だ!
関ヶ原の合戦 石田三成編
どうもこんにちは僕です。
今回は岐阜出身にも関わらず、通った事しかなかった関ヶ原へ行くことにした。
現在の関ヶ原には、岐阜関ヶ原古戦場記念館が昨年開館し、各陣に案内や柵などしっかりと整備されている。
【公式】岐阜関ケ原古戦場記念館|関ケ原の戦いを五感で体験|岐阜県
天下分け目の戦いが繰り広げられた激戦地に向かう。

めちゃくちゃ綺麗だ。
施設内には、関ヶ原の合戦を映画館のようなスクリーンで見ることができるシアターもあり、なかなか渋めでしっかり作られていて良かった。
他にも参陣した各武将の甲冑や関ヶ原までの流れ、武将達の書状、関ヶ原以外の各方面の戦いなど展示されていた。
特に関ヶ原の戦いの屏風絵をドットで動く屏風絵にした展示もありコミカルでこちらも良かった。
5階には、展望室があり関ヶ原の中心にある当施設からぐるっと各場所に陣を敷いた場所が案内されており見やすい展望室となっている。
今回は時間がなく、西軍の石田三成が陣を敷いた松尾山だけ現地に見に行った。








1分くらいで登れる
見晴らしが良く、奥の方に徳川家康が布陣する桃配山がある。
手前が小西隊の陣、奥に大谷隊と北陸諸隊、その奥に小早川隊が布陣する松尾山


島左近の陣

山といっても丘のようなもので、そこまで登るのに苦労はないが、ここに黒田隊、細川隊が殺到したと考えると守るの厳しそうな感はあった。
隣の隊の戦況も観れたので、三成もここから各隊の戦況を固唾を飲んで観ていたんだろう。
そして、実際に戦っているのが石田、宇喜田、小西、大谷とかなり少ない。
毛利も小早川も主力級なのに戦闘に参加せず、小早川は逆に裏切るというのを目の当たりにして三成はさぞ悔しかっただろう。
石田三成の逸話や物語を見ているとかなり理屈家なので、人の好き嫌いみたいなものも強かったのかと感じるが、実際はどうなんだろうか。
勝敗が決して伊吹山山中に逃げて挽回を図ろうとする三成だったが最後は同郷の田中吉政に発見されて捕縛され、三条河原で打首となった。
当日の関ヶ原は静かで、ここで何十万もの兵士が戦ったなんて思えない静かさがあった。
だが、ここで天下分け目の戦があったのだがら驚きだ。
地元のまだ行っていない歴史が動いた場所へもっと行きたくなった。
今度は各陣に自転車に乗って行こうと思う。
お城探訪【高田城】
どうもこんにちは僕です。
7月初旬暑すぎ問題があるが、
(※7月初旬に行ってます。)
だが、
しかし、
城に行く!
高田城だ!!
早速前泊をして、次の日に備える。

スーパーホテルってなんか接客が良くて好きだ。
朝食をまた見てもらいたい。

SHISHAMOが乗っているが、本当はソーセージが良かったな。
午前中は曇っており、攻めるなら今や!と抜群の嗅覚を生かして高田城を目指す。
上越妙高駅から、高田城へは4通りの行き方がある。
- 電車
- バス
- レンタカー
- レンタサイクル
バス、電車はあまり本数が無いため今回は無しにした。
今回はレンタサイクルを選択。
マジでひっさしぶりの自転車でテンションが上がったのと、この暑さの中でどれだけ今の自分が出来るのかという不安が入り混じる中、レンタサイクル屋さんに行った。
お店のお姉様は、すごく話しやすくて出る前に5分以上世間話をして、こういうコミュニケーション良いよねって改めて思った。
そんで、これが今回の相棒。

黄色い自転車は初めてだ。
コイツに跨り出発したが、久しぶりで腕がプルプルしてなかなか上手く漕げない。
こんな状態では、真っ直ぐ進まないので車が来ない時に車道脇を、車が来たら自転車を降りて歩道を歩くというかなり神経を使う走行をした。
田んぼがあるってやっぱり眺めは良い。

30分ほどかけて高田城に到着。
まず着いて驚くのが、外堀の広さと一面の蓮である。7月中旬〜8月までが蓮の見頃

元々外堀は関川という蛇行した部分をそのまま生かして堀とした為、マジでバカでかい。
流石天下普請と圧倒される。

蓮の花って遠目から見ると綺麗だけど、枯れた後の花弁っていうのかな?が近くだと蜂の巣みたな、ブツブツで気持ち悪くなるあれだ。
蓮の花を眺めながら、そのまま市歴史博物館へ向かう。

※ちな高田城は、1598年春日山城の上杉景勝が会津に転封となり、替わって越前北庄城の堀秀治が入封。堀氏によって春日山城に替わる福島城が築城されたが、1610年にお家取り潰しとなり、徳川家康の六男松平忠輝が入封した。
この時、徳川と豊臣の抗争が激化する中であったこともあり、隣国の豊臣家の重臣前田利常を完成するため、交通の要衝である越後に息子が配置されたと推定される。
1614年、天下普請により、高田城築城に着手が始まる。普請には東北の13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅になる伊達政宗が就任。
高田平野を蛇行しながら流れる関川を自然堤防として巧みに利用し外堀を形成している。
ここで驚きなのが、流石天下普請だけあり、竣工までの期間の短さで3月15日から始まり7月上旬には一応の完成を見ており、実に4ヶ月の早さであった。
特徴として、天守閣が建築されなかったことと、石垣が積まれずら土塁を巡らせていることが挙げられる。
現在は1993年に三重櫓を再建し本丸部分の土塁は当時のままとなっている。
城下町は碁盤の目のように町割りされており、北国街道と北陸街道を引き込んでいる。城の西に家臣団の屋敷、町人はその西に南北に走る北国街道に沿って街を形成している。最も西には寺町を二列に並べており、現在でも60ヶ所余りの寺が現存し、日本でも有数の寺町となっている。
という、天下普請による急ピッチな築城に関わらず大規模なお城となっている。
博物館の屋上から全方向を見る事が出来た。
緑豊かで空が抜けている上越の景色は良い。





博物館自体は歴史にしっかりと焦点をあて、この上越の歴史の移り変わりを戦国時代から近代まで展示してある。
かなり見応えのある博物館になっている。
それでは高田城を見て行こう。


現在は建物としては三重櫓のみ

櫓の麓には紫陽花が咲いておりました

櫓の上から



とにかく水堀がデカい








と、周りをウロウロしていたが現在の高田城は中学校や球場などがあり、そこまで見ることは出来ず街の中心部で公園として市民に親しまれている様子だった。
にしても、この日も暑くて一度博物館に避難。
中にある喫茶店で休息する。

チョコレートケーキと、お茶。
じっくり30分程かけて身体を冷やして休憩。
また行きとは違う道を通って、自転車で駅へ向かう。

あぁ、良い景色だ。
車では走っている最中いちいち止まって写真撮れないけど自転車なら撮れる。
また上越に行ったら自転車で散策を行おうと思う。
またな上越!
お城探訪【松本城】
どうもこんにちは僕です。
6月だが、暑い暑い暑い。
(※6月末に行ってます。)
梅雨前線消滅。ってニュースでやっててそんなことあるんだってびっくり。
そら暑いよ
そんな時でも、お城に行きたい、一人旅したい気持ちは抑えられない。
今回は松本城であります。
松本城とは、
※ちな、松本城は永正年代初めに作られた深志城が始まり。戦国時代になり世の中が乱れてくると信濃府中と言われていた松本平井川に館を構えていた信濃守護小笠原氏が館を東の山麓の林地区に移し、その家臣らは林城を取り囲むように支城を構えて守りを固めた。
深志城も林城の前面を固める為に造られた。その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を信濃支配の拠点とした。その後天正十年に小笠原貞慶が本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めた。
天守の築造は天正十八年に秀吉が小田原北条氏を下し、天下を治めると関東に徳川家康が移封し、この時の松本城主であった小笠原貞慶も家康に従い関東に移った。代わりに石川数正を松本城主とし、数正と康長親子が城と城下町の経営に尽力、康長の代に近世城郭としての基礎を固めた。天守は3年ほどかけて築かれたとされる。
長い、説明が長くなった事をお詫びしたい。
でも必要。
というわけで、早速松本城へ行った。
だが、昼間は暑いので策士である自分はここで暑い時の対応策を練り出す。
それは
夕方の涼しい時に行く
これは本当に良い。
これには涼しい以外にも、利点がある。
それは
- 人が少ない
- 夕暮れ時の城が見れる
夏暑すぎる、歩けないって方にはこの策をオススメしたい。
これなら、運動不足を解消しようと夏の夕方に近所を散歩するおじいちゃんでも出来る。
平城なら尚更だ。
では、夕暮れ時の松本城を紹介しよう。

エモい。
夕暮れってのは風景の中で1番好きなんだが、松本城と夕暮れは尋常では無い良さがある。
ノスタルジックというか、儚いというか、色気がある。
そんな松本城をベンチで何も考えずにぼんやり眺める。
この時間が大切であり、来た意味がある。



写真はめちゃくちゃ加工している。
加工し過ぎて夕焼けなのかわからなくなっている。
次から気をつけよう。
さて、この策はメリットもある一方でデメリットもある。
- そもそも城が開いていない
- 博物館も開いていない
- 時間が限られている
そう、だからじっくりと見れない側だけを楽しむ一度行ったことのある城へのアプローチに良いかもしれないし、次の日も行ける人に有効な策なのだ。
私は一度行っているから、これが出来たわけでやはり策を使うには使うまでに下地を作らないといけない。
武田信玄も戦は勝つ戦しかしない。
(結構負けてもいる)
まさにコレである。
この日泊まったのは、スーパーホテル松本・お城口である。
今日の夕食は、駅前にあるデリシア松本駅前店で割り引かれた惣菜を狙って行ったがほぼ無かった。

朝はビュッフェを頂いた。
ビジホはこれが楽しみの一つ。
店員さんが、ビュッフェのメニューの説明を来る人、来る人に行っており頑張りを感じる。
松本・お城口ではとろろがあって良かった。
ご馳走様でした。
お腹も満たして、いざ!
この日は晴天。
暑さがヤバみだが行くしかない。
ホテルを出た瞬間から暑さが沁みる。
これはすぐ行ってすぐ帰るヤツだと思い、日傘をさしながら向かう。

晴天に漆黒の松本城はやはり良い。
天守も午前中と言うこともあり並ばずに入ることが出来た。
中は急な階段があり、足腰が弱い方は無理そうだ。






来年に松本城は耐震工事が予定されており、暫く天守が拝めなくなりそうなので間に合って良かった。
そして松本市立博物館へ
前まで松本城の敷地内にあったようだが、新しく場所を移して綺麗になっている。


城域全体のジオラマの為、めちゃくちゃ広い。
広角。



湧き水の話
道祖神の話

道祖神巡りの旅も良いかもしれない。
松本市の土地や山、民俗学の展示などコンパクトに纏められており30分程でパパッと見ることが出来た。

あと、下から涼しい風が出てくるスポットもあり暑さに弱い身体限界おじさんには最高のスポットだ。
松本市内にはあちこちに湧き水があり、ちゅめたいお水が湧き出ている。
人が居なかったら全裸になって水浴びをしたい。

水が良いから花壇の花も何だが嬉しそうだし
夕暮れの女鳥羽川はとても旅情を感じる。
松本はまだまだ魅力たっぷりの城下町だった。
お城探訪【忍城】
どうもこんちわ僕です。
お城へ行く。
今回は友達と行く事となった。
お城を一緒に行ける友達はそうそういない。
30代になっても遊んでくれる友達はとても貴重な存在なのだ。
今回行く忍城は、かなり有名な城だろう。(※ちな5月)
そう、のぼうの城なのだ。
豊臣秀吉の関東攻めで、北条方の城で唯一落ちなかった城として有名だ。
奉行筆頭の石田三成が総指揮をとり、水攻めを行なったものの落ちなかった。
成田氏が治めたこの場所へ行くとしよう。

こんにちは行田市駅。
ちょうどお昼だったので、駅の近くにあるラーメン屋で昼食をとる。
【支那そば くろ田】

頼んだのは限定の魚介ベースの醤油ラーメン
濃厚だけどサッパリの美味しいラーメンだった。
ご馳走様でした。
さて、お腹も満たされたので忍城へ行こう
※ちな、忍城は関東7名城の一つで、室町時代に成田氏によって築かれた。北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在した広大な沼地と自然堤防を生かした城となっている。
数度の攻城戦が行われたが一度も落城しなかったしろで、有名なのが上記している豊臣の小田原征伐時に石田三成からの水攻めにも耐えた事から浮き城、亀城とも呼ばれた。
江戸時代には徳川家譜代、親藩の居城となり、阿部氏の時代には新たに三階櫓が建設され、城郭改修や城下町整備が行われた。

三階櫓



忍城の鐘

御三階櫓の石垣
土塁
行田市郷土博物館がある。
特別展で忍城城主と家臣の手紙のやり取りについて展示があった。
印象に残っているものでうろ覚えだが二つほど紹介したい。
①忍城攻めをしていた石田三成に対して秀吉が送った手紙の内容。
三成が総指揮を取って忍城を攻めているが、他の奉行も援軍として送る。
これは決して三成だけでは手に余るからということで送るのではないので心配しないで欲しい。
みたいな内容だった。北条攻めをしている秀吉はもうほぼ天下人なのだが、三成に対して凄く気を遣っている内容で驚いた。もっと上から指示を出しているイメージだったが、秀吉が人たらしと言われる所以はこういう手紙にも出ていたのかもしれない。
②何代将軍か忘れたが、猫を将軍に献上したら将軍が毛並みが良くないって理由で猫を送り返されたって言う手紙。
そんなことあるんだっていう、驚きと戦国時代が終わった江戸時代だからこその、のんびりとした内容がとても良かった。

水城公園へ向かう道中門跡。

クロアゲハっぽい
緑がいっぱい

水城公園の木の窪みから、青大将
サギ

公園の中に、明治レトロな喫茶店がありちょっとブレイク。
【ヴェールカフェ】
忍城は、遺構こそあまり残っていないが博物館で忍城の歴史から水城公園の長閑な自然との触れ合いと喫茶をしばく事ができる。
周りには古墳や稲作でアートがあったりと車で来ればまた数倍面白くまわれる。
そんな丁度良い街なのかもしれない。
お城探訪【小諸城】
お城に行きたい。
もう、春になる。※3月に訪問
どんどん気温が上がってくるとなると外に出られない。
タイムリミットが迫る中、少ないチャンスを確実にモノにするにはいつもの合言葉だ。
行ける時に行け!
そうと決まれば長野県佐久市へ向かう予定があった為、近場の小諸城へ向かうことにした。
前日は佐久平駅前にあるアクアホテルアネックスに泊まる。
とても綺麗でお気に入りに登録したいという気持ちだ。


外観を撮り忘れてしまった為、中だけチラッと載せる。
朝ご飯は、ちょっと茶色が多くてバランスが悪くなってしまった。
次戦に向けての反省点として、緑色の何かを彩りとして入れる事で朝食の点数を上げていきたい。
向かっている途中から、もう浅間山が見える。
いいぞ、こういうのだ。
こういう、ここでしか見れない景色に価値がありキタ感が増すのだ。
生憎当日は曇りのち雪の予報ですごく寒かった。

Suica使えるかと思って佐久平駅のホームまで入って行ったが、ピッってする機械がなくそのまま乗り込んでしまい、小諸駅の改札で次回から切符を買うように諭された。
気をつけたい。
※ちな、小諸城は1487年に信濃守護小笠原氏の流れをくむ大井光忠が現在の大手門北側に築いた鍋蓋城と言われている。
1554年に佐久地方を制圧した武田晴信が小諸城を拡張整備し、1591年に仙石久秀によって大改修を経て、現在の小諸城となった。
その後、1702年に越後より牧野康重が入ると、明治維新を迎えるまで牧野氏の居城となり。維新後は廃城処分された。

小諸城三ノ門
どっしり構えられており、色も相まって渋くて良い。

三ノ門を進むと二の丸に出る






二の丸からも浅間山を確認。

本丸手前に黒門橋
ここの堀もガッツリ幅がある。

本丸には現在神社がある。



本丸の奥へ進むと天守跡
本丸より本丸を囲む石垣の方が高い。



小諸城の石垣はの野面積み



本丸奥にある馬場側は、千曲川と浅間山の火山岩で深い谷のように抉られている。
見惚れるぐらい天然の堀だ。


富士見台から晴れていれば富士山も見えるようだ。
城内に草笛メロディー装置なるものがあり、安易な気持ちで押す。
そしたら、まあまあの音量で横山祖道老師の草笛で「千曲川旅情のうた」が流れる。
これが、すぐ終わると思ったらなかなかに長くて体感5分くらいまあまあの音量で流れた。
おいおい、長いぞ。老師よ、歌がすごい長いぞ。
誰だ、これホントに丸々当時の音声を始めから終わりまで入れてるやないか。
城の奥に小山敬三美術館があり訪れた。


自分は美術や芸術に関しては無知だが、小山先生の絵を見て色使いが大胆で見応えがある作品に驚きとかなり好みだと感じた。
特に浅間山を題材にした作品を多く描かれており、浅間山の朝焼けなどは神々しさも感じる作品だった。
城内には島崎藤村記念館もある。
記念館の前に藤村さんの銅像があったが、結構怖かった。


現在の岐阜県出身という事で同郷になるが、名前は知っていたが小諸にもゆかりがあり小諸義塾の先生もやっていた。
小諸城にはこの他に動物園と児童遊園地もある。
動物園は改修工事が行われており、閉鎖しれていた。
ちょっと楽しみにしていたので残念である。
そんなこんなで、所要2時間ほどでお城を後にする。
お昼ご飯は、城内にある信州蕎麦の草笛さんで山菜蕎麦を注文した。
これが、今まで食べた中で1番美味しい山菜蕎麦だと感じた。

きのこに味がしっかり付いていて、プリップリの食感。美味かった。


駅の反対側に大手門も残っており、東日本で大手門が現存しているのは弘前城と小諸城だけとのこと。
やっぱり大手門って大きいよね。
馬場には小諸枝垂れ桜が植えてあり、春は祭りが催されるらしい。
まだ全く咲く気配がなさそうだが、満開になったら絶景だろう。
だが、人があまりいない閑散とした城跡こそ往時の城がどんなものであったか想像しながら回る事が出来るので悪くない。
小諸は戦国時代の面影を残しつつ、小山敬三先生、島崎藤村先生の芸術と文化、動物園と児童遊園地の娯楽、浅間山の雄大な景色という全てをギュッと詰め込んだ場所だった。
是非、動物園が開業再開したタイミングで再度訪れたいお城となった。
お城探訪【高島城】
お城に行きたい。
先ずはホテルの紹介をさせてくれ。
ルーピアイン南湖である。

夜のルーピアイン

朝のルーピアイン
ルーピアインは夜と朝では全く違う姿をしていた。
夜はしっとりとした佇まいだったのに、朝は実にサッパリとした印象だ。
せっかく諏訪湖の近くに泊まったので、早朝に湖の周りを散歩しよう。



澄んだ空気に、真っ青な空、その空を写す諏訪湖。
綺麗すぎだ。
君は綺麗だ、って囁いてしまう程ふつくしい。
見惚れながら歩いていると、ホットコーヒーを片手に諏訪湖を凝視しているイカつめのお兄さんがいた。
音楽を聴きながら、凝視している。
そうだよな。こんな綺麗な諏訪湖があるんだから見なきゃ損だよ。
って思いながら、少し離れた場所からお兄さんを凝視する。
さて、朝食を取ろう。
ビュッフェなのでセンスが問われる。
まあ、大丈夫だ。
見てくれ。

これが。
こう。
満腹になったので、ちょっと仮眠してホテルをチェックアウト。
さて本番の高島城へ行こうか。
※1590年、豊臣秀吉家臣の日根野高吉が諏訪に2万7千石を与えられて領主となる。高吉は安土城や大阪城の築城にも携わったおり、1592年から1598年までの7年で高島城を築城。城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから別名諏訪の浮城と呼ばれた。
その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水が旧領の諏訪に返り咲き藩主となる。以後十代忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城となる。
1871年、廃藩置県により城郭が撤去となり諏訪地方のシンボルである高島城も姿を消す。
その後、高島公園として一般開放される。1970年、天守閣が復興され同時に冠木門、角櫓なども復興し現在の姿となる。

高島城


角櫓

冠木門
公園の中に噴水があってカルガモが泳いでいた
しっかり水堀もあって水が凍っていた
天守からの遠望
山の間に見える富士山
コンパクトだけど、とてもこの城は映える。
当日の空も良かった。
満足感が凄い。
お城を観て、満足したのでまた諏訪湖沿いを散歩する。


風が全然吹いていなかったので、湖面も凪の様にシーンとしていた。
空をそのまま写しており、もう芸術だな。参ったなって思いながら椅子に腰掛けてこの芸術作品を鑑賞した。


その後、間欠泉センターで茹でたてのゆで卵出来たよってアナウンスがあり、急いで買いに行く。
間欠泉は数年前から急に吐き出さなくなった様でグズグズ音を立てるのみだった。
その後、間欠泉センターと道路を挟んだ反対側にタケヤ味噌会館があり突入して昼飯の味噌ラーメンを食べる。
さっぱり味噌味で寒い諏訪湖畔を散歩した後のラーメン最高である。

まだ時間があったので、駅前のたまごや工房で茶をしばく。
プリンを頼んだはずがでかシュークリームが運ばれて来てビックリしたがなにも言わずに食べた。
これ卵の味しっかりで濃厚美味い。


とっても良いわよ、諏訪。
また来たい場所です。







