あぁ長良川、長良川。

30代始まりと共に経験、技術無しサラリーマンの現状を垂れ流します。

義経じゃないほうの源平合戦 源範頼

どうもこんにちは今回の本はこちら

一昨年大河ドラマで、【鎌倉殿の13人】が放送され、この時代に関心を持つ人も多くなったんじゃないかと思う。

 

今回の主人公は、偉大な兄と戦の申し子の弟に挟まれた地味だけどやる事はやる男 源範頼

 

兄の頼朝、弟の義経とは別腹の母から産まれ、その母の身分も低かった為、成人になるまでは三河蒲郡の荘園の警備を行っていたな過ぎない範頼が、兄の頼朝の平家に対して反旗を翻した時から目まぐるしく動き出す。

 

 

※ちな、本書のはじめにでこの範頼の事がしっかりと書かれているので抜粋したい。 

 

神の如き義経の武勇と軍略は源平合戦において幾つもの伝説を生んだ。

一ノ谷の戦いにおける鵯越の逆落し、屋島の戦いでの奇襲に、壇ノ浦の戦いでの八艘跳び。

義経の目覚ましい活躍によって奢れる平家は滅亡し、頼朝に鎌倉幕府を開いて新しい武士の世を作り上げた。

そんな義経の活躍があまりに有名過ぎるせいで、源平合戦と言えば最初から最後まで義経1人が戦ったように思われがちである。しかし源氏と平家のの戦いにおいて義経の立場は単なる別働隊の将に過ぎず、義経の上に平家追討の総大将がいた。

それが、源範頼という。

範頼の業績は今一つパッとしない。

一ノ谷の戦いでは正面からの攻撃を担当したが目立った戦果は上げていない。

屋島の戦い義経が1人で奇襲をかけたので、そもそも参加していない。

壇ノ浦の戦いでは、義経が船の上で戦っているのを陸から眺めていた。

そこそこ重要な立場なのに肝心の戦いの時にいつもその場にいない。

だが、決して何もしていない訳ではない。むしろ彼は征夷大将軍となり鎌倉幕府を開いた偉大な兄と日本屈指の天才軍略家である弟いう不世出の2人の英雄の間に挟まれながら、彼なりの地味な戦いを人知れず繰り広げていた。

 

範頼の2人の兄、弟が凄すぎて印象がないという事だが、この乱世の時代には良くあるだろうと思う。

意外と調べてみると良くある。

戦国時代で言うと、秀吉の弟である秀長は中々似ているだろうと思う。

秀吉がド派手に戦果を挙げている陰で秀長が家臣たちの繋ぎや事務方の仕事を頑張っていた。

秀長が死に、秀吉に歯止めが効かなくなったと言われるぐらいだからその存在感は大きい。

 

話は戻るが、この物語の中で範頼を陰ながら支えた鎌倉の御家人、天野遠景。

この人と範頼の会話はほのぼのしつつ、泣けもする。

 

是非超人の兄、弟に挟まれた範頼の悪戦苦闘しながら幕府立ち上げまで支えた活躍を見てほしい。

 

 

 

ルックバック

どうもこんにちは僕です。

 

今日は映画の話。

 

 

これの映画を観てきました。

 

漫画では読んでないので、映画で初めてと言うことです。

予告の映像見ただけでちょっとウルッっときてましたが、映画見てなんとか抑えられました。

 

藤野先生が小学生の中で1番絵が上手いと自負していたのに、京本が自分より絵が上手い事を知り猛烈に絵の練習する姿とか。

 

小学生卒業になる頃には、周りからもう絵を書くの辞めればと言われた時の藤野先生の気持ちとか。

 

初めて京本に会って藤野先生のファンですと言われて自分より絵が上手い京本からそんなこと言われて嬉しくてるんるんで帰り道を藤野先生の走る姿とか。

 

京本と2人で漫画を描きまくってる姿とか。

 

連載決まったのに、京本が美術大学行きたいとか言い出して一緒に漫画描けなくなったとか。

 

ちょっと胸がギューっとなる内容でした。

 

京本が「何で藤野先生は絵を描いてるの?」

って言われた時に、京本と一緒に漫画を楽しそうに描いてる姿が流れてて、藤野先生からの回答はなかったけど、それが答えなんだろうなって思えました。

 

大人になっても思うけど、やっぱり人から褒められた事って覚えてるし、頑張る原動力になるし、改めて褒める事の大切さを感じた映画だった。

 

お城探訪【弘前城】

そうだお城に行こう。

 

今回は現存天守12城の1つ。

本州最北の城郭、弘前城へ向かいたい。

 

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新幹線で新青森へ向かう。

新青森駅の看板写真撮るの忘れたので青森駅の写真。

 

弘前へは新青森駅から電車で20分ほどで到着。

 

弘前に向かう途中、道路の真正面に岩木山が聳え立っているのが見えてとっても綺麗で壮大だ。

 

お城の目の前に市役所があり、そこの有料駐車場へ

 

 

※ちな、弘前城は初代藩主津軽為信により1603年に計画され、二代藩主信枚が1611年に完成した。以後津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、弘前藩の中心地となる。

 

市役所から近い追手門から侵入。

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これ!これだよ、石碑だよ。
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資料館に津軽為信公の像があり、写メをとりまくる。カッコ良い。一城主に過ぎなかった為信公が大国南部家から弘前の地を切り取ったのホント乾坤一擲で凄く良い。
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櫓も何ヶ所か発見。
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これが天守。現在は城の下の石垣の補修をしており主郭の中央部に天守を移動させている。

 

※ちな二代藩主信枚により、1611年、五層天守が築かれたが、1627年の落雷により焼失。

現在の天守1810年蝦夷地警備の功績が認められた九代藩主寧親が再建し翌年完成。江戸時代に造営された天守としては東北地方に現存する唯一のもので重要文化財に指定されている。

 

城自体は三層天守でこじんまりしている感じはするが中にも入れて満足。

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主郭から岩木山が眺められるの本当に良く、青森の富士山って言われて納得。
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※ちな弘前城の面積は約49.2haと広大で見学所要時間は約2時間。

上記地図を見てもらうとわかるが、城門・隅櫓も多数残っている。

北門、南内門、東内門、追手門、東門の五つの城門と丑寅櫓、たつみやぐらあ、未申櫓の3つの隅櫓が現在。いずれも重要文化財に指定されている。

また園内の水濠などには八つの橋も架けられており、水濠の周辺にはソメイヨシノやダケモミ、銀杏などの名木も多く四季折々の表情を見せる。

 

特に弘前城ソメイヨシノの桜が多数あり、弘前さくらまつりが有名だ。

今回はちょっと時期が遅かったから、見れなかったがまたの機会に訪れたい。

 

2時間もかかると、やっぱり疲れちゃうから休憩も必要。今回は昼飯もかねて城内にある市民会館の中で。

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ボロネーゼを頂く。

しっかり目の味付けとお肉もホロホロで大変美味しゅうございました。

 

あと、市民ホールでこの人津軽三味線の大会みたいなのを開催しており、三味線の音がそこかしこから聞こえてきてより津軽を感じた。

 

お城をひと通り見終わって、城の近くにりんご公園なる場所があるようで行ってみた。

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控えめに行って景色最高。

周りは一面りんご畑。

最後にアップルパイを食べてfinish。

 

ちょっと青森のポテンシャル凄いと感じさせる、

時間かけてきて良かった。

これだよ青森。城プラスαで楽しめる感じが良いね。

 

今度は、浪岡城へも立ち寄りたい。

 

 

 

 

 

極楽征夷大将軍 足利尊氏

どうもこんにちは僕です。

 

今回の本はこちら

 

 

室町幕府創設者の足利尊氏さんです。

 

この物語では、尊氏さんの弟である直義と足利家執事の高師直視点での話です。

 

とにかくこの兄弟、相思相愛でふたりはプリキュア状態なのとんでもなく尊い

 

足利家の庶子として生まれた兄弟は幼少期から大人達に相手にされずに期待されずに育った為、いつも兄弟で遊んでいた。

 

兄である尊氏は、ぼんやりのほほんとした我が無いに等しい性格。

弟は清廉潔白の様な、情に熱い性格だった。

 

そんな2人がひょんな事から足利宗家を継ぐことになり、後醍醐天皇の呼びかけに応じて鎌倉幕府の実質的支配者である北条得宗家を滅ぼす。

 

この時代は綺羅星の如く武将が出てくるのも物語として面白い所である。

 

この物語では、老将赤松円心が尊氏の友達として活躍。

また後の南朝として活躍する楠木正成新田義貞北畠顕家この3人はまた別でそれぞれ物語があり激烈におもろい。

既に読書感想文を書いている話もあるが改めて載せておこう。

 

 

時代小説で、北方謙三先生の作品はどれもかっこいい。戦闘シーンもさながら男心をくすぐられる格好良さがあるからぜひ見ていただきたい。

話はもどすが、この南朝の武将達も元を正せば後醍醐天皇の呼びかけで尊氏達と一緒に鎌倉幕府を滅ぼした。

 

その後の後醍醐天皇(朝廷)によって日本を治る形となったが、長い間幕府によって治られていた為、いきなり朝廷のみで対応することが出来ず次第に武士達から不満の声が噴出。対応出来なくなる。

 

やはり朝廷には任せられないと思い立った直義と師直が朝廷の代わりに幕府が日本を治るべきとして、朝廷対足利で対立。

 

その過程で不本意ながら敵と味方に分かれなければならず、、、といった感じだ。

言うなれば後醍醐天皇に振り回されたといえる。

 

幾度とない朝廷軍との戦いの中で、弟直義が討死しそうな時に、兄尊氏が駆けつけて言い放った言葉が熱男!

 

尊氏

「幼き頃から共に育った弟をたかが幕府再興の為にみすみす打ち捨てよとでも申すか!!」

 

物語後半で尊氏は、師直と直義2人が居なくなったら1人で何でもこなすようになっていった。

 

直義が病気で余命幾許かの時に、師直も自分も居なくても兄尊氏は1人で出来るんだってわかった瞬間、なんだか2人の気苦労が何だったんだ?って思うぐらいおかしくて、でも寂しいような感情になった。

 

やれば出来るもんってまさにこの物語の尊氏で、

その尊氏中心にして必死に支えて、幕府を築き上げてきた師直と直義が最後派閥争いで殺し合いをして2人とも居なくなるって、権力ってもんはどこまでも愚かで、でも魅力があるもんなんだろうなという。

 

尊氏は尊い2人を失ってまで、幕府を作りたかったわけじゃないだろうに。

 

でも、そんな2人が居なくなったからこそ尊氏の真の力が発揮されるのもまた皮肉ではあるが。

 

その後、室町幕府が250年続くのも不思議なものだ。

 

 

 

 

 

お城探訪【小峰城】白河の関、棚倉城、赤館城

そうだお城へ行こう。

 

今回は再びの福島県

 

小峰城へとお伺い致しました。

 

東京から行けば新幹線で丁度良い1時間で新白河へ到着。

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こんにちは新白河

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こんにちは白河の関
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こんにちは芭蕉さん。

着いたらまず昼飯を食う。

 

白河と言えば、白河ラーメンだということで駅前にあるラーメン屋へ向かう。

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(手打中華せきた)の醤油ワンタン麺 ¥950

名前はうろ覚えだがワンタン麺である。

 

店内は昭和感があり、競馬中継のテレビ、地元の方々が多く、ちょっとドキッとしたがどっしり構えてカウンター席へ。

 

優しいお味でちぢれ麺が美味しかった。チャーシューもしっかり2枚あり。

 

お腹も膨れたので、目的地へと向かう。

 

今回の旅の行程は一泊2日である。

1日目はレンタカーを借りて白河の関棚倉城、赤館城巡り。

2日目は小峰白河城

 

 

早速駅前のトヨタレンタカーへ、相棒のvituです。

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彼に乗り込み白河の関へ。

 

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これが関所なのか、、と思われるような山間の谷間にぽっかり小山のような丘が白河関のようだ。

 

昔はこの丘の両サイドに柵が設けられておりしっかりとした関所のようなものになっていたのだろうか。

 

今は両サイドがガラ空きの為、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。

 

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謎は深まるばかりであるが、江戸時代この白河関がどこなのかわかっていなかった様で、寛政12年(1800年)時の藩主松平定信が絵画や記録・伝承から考証を行い、この場所に違いなし!と断定して今の位置に石碑を建てた。

 

だから間違いない。

あの松平定信なのである。

間違えない。

 

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白河神社があり、荘厳な雰囲気がある。
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外から見ると丘に見えるが、中に入るとしっかりと土塁、堀がある。
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めちゃくちゃデカい木がいくつもあった。

 

※ちな、このめちゃデカい写真の木は「従二位の杉」と言われており鎌倉時代初期の歌人で「新古今和歌集」の撰者の1人である藤原家隆が手植えして奉納したと伝えられる杉の巨木で樹齢は約800年と推定。

※ちな、この他にも「幌掛の楓」「旗立の桜」「矢立の松」など逸話のある木があったりする。

白河関跡案内より

 

古の関所を後にして、次に向かったのは棚倉城

棚倉城と言えば、一時期かの有名な立花宗茂が城主だった城。

地図アプリで地形を見たが、主郭の周りにガッツリと水堀がありこれはっ!と思い行きたかった城の一つだった。

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見て回った感想を言わせて欲しい。

 

マジで何もないっ。

水堀は幅5メートルくらいあって高さもあり、見応えはある。

しかしながら、主郭の中は一切何もない。

ここも大木があり福島は木を大切にしているなという感想。

 

敷地には小学生達が、ブランコに乗ったり追いかけっこしていた。

長閑だ。

 

30分程で城を後にする。しかし、街は城下町だったこともあり、少し寂れた商店街の風景もちらほら。

その中に和菓子屋さんが。

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ついつい3種類も買ってしまう。

やっぱり地方で城下町に昔からある和菓子屋の甘味最高である。

 

その後、棚倉城が築城される前までこの地を治めていた赤館城跡へ

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街を見下ろす山の上に、赤館城跡はあった。

今は公園になっており、その遺構は殆ど感じられなかったが、眺めは良い。

 

今日はここまでだ。

今回の宿、トー横イン新白河

晩御飯は、帰りの途中にあったスーパーで割引されたかつ丼、寿司があったので購入した。

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1人でこんなに食べられるのもひとり旅ならでわの喜び。

 

ドカ食い気絶部

 

お腹いっぱいにして寝た。

 

 

2日目はいよいよ今回の旅の目的地である小峰城へ行く。

 

新白河駅から一駅先の白河駅に城はある。

だが、田舎あるあるである電車の本数少なすぎな点で丁度良い電車がなかった為、歩いた。

30分程で到着。

 

まず何も言わずに見て欲しい。

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平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が、木造で復元された。

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天気も良くて最高な城巡り日だった。とにかく主郭の石垣がずーと続いている光景は圧巻。

丹羽長重公は間違えなく築城名人だと圧倒される迫力だった。

丁度、桜がチラホラ咲いていて、本殿跡から遠く那須岳雄大に聳える光景見れる。さらには場内の茶屋でソフトクリームも販売されており、櫓を見ながら食べるソフトクリームは絶品でご満悦になった。

 

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また、城内に歴史館もあり小峰城ジオラマや歴代城主経歴、戊辰戦争時の白河関連性を示した映像もあり、しっかりと白河を学べた。

 

前回の二本松城同様に東北の玄関口になる白河は戊辰戦争に新政府軍と旧幕府軍で壮絶な奪い合いが行われた場所で至る所に両軍の戦死者のお墓があった。

 

城に程近い場所にも薩摩藩の戦死者のお墓があり手を合わせる。

 

小峰城は、南北朝時代結城親朝によって築かれその後300年に渡り白河を治る。江戸時代の初代藩主丹羽長重によって石垣を多用した近世城郭に改修された。幕末慶応4年の戊辰戦争によって本丸などが焼失し落城。

歴史館案内より

 

かくして、今回のお城探訪は終了。

また新白河駅まで歩いて戻るが、谷津田川せせらぎ通りを進む。春の陽気と川のささらが聞こえてきて散歩にはとても良い道。

 

新幹線まだ1時間あったから、駅中のラーメン屋と駅前の喫茶店でお茶をした。

 

昨年と2度福島へ行ったが、かなり良い。

これは東北の魅力にどっちりハマりそうだ。

一人旅の東北は30代の男子にはロマンだと思う。

 

東北にはまだまだ城下町が多数あるから、楽しみだ。

 

シドニアの騎士 あいつむぐほし

どうもこんにちは僕です。

 

映画を観まして、久々におおおおお!!となったので記事を書くことにする。

 

 

シドニアの騎士とは、あのSF漫画の第一線を走り続けている二瓶勉先生が描いた漫画である。

 

シドニアの騎士の前は、【ブラム】、【アバラ】など絵柄がかなりSF感キワキワな感じだったが、このシドニアの騎士から物凄くポップな絵柄に変わったなと連載当時感じた。

 

実はシドニアの騎士の漫画は最後まで読んでいなかったのでどういう展開になってるのか分からなかったが、この映画で見事にその後半部分を映画化されており、今日ようやくシドニアの騎士読了となった。

 

人型戦闘兵器・衛士のエースパイロットの谷風長道と人とガウナから生み出された白羽衣つむぎとのラブロマンスとガウナとシドニアの最終決戦を描いた映画となっている。


今回この映画で、うおおおおおおお!!となった所は、二零式継衛【却衛】でつむぎを助けに出る時発艦シーンである。

 

このシドニアの騎士の映画の為に作られたであろう下記楽曲が凄く良かった。

シドニア

シドニア

 

やっぱり味方がピンチの時に、主人公がカッコよくて颯爽と現れる時にこの曲がかかると、男の子なら興奮せざるを得ない味が強い。

 

ロボット系のアニメではこの手の登場がやはりグッとくるもんだ。

 

めちゃくちゃガンダムに似ていたが、シドニアシドニアでとっても戦闘シーンもしっかりしていて見応えありだった。

 

早速iTunesで曲購入してリピート聴きします。

 

 

お城探訪【近江八幡城】

そうだお城へ行こう。

 

今回訪れたお城はこちら

滋賀県近江八幡市にある続日本100名城の内の一つ

 

近江八幡城

 

今回、お城のマップ的なものは入手できなかった。(あるのかわからない)

その為、市営小幡観光駐車場に駐車した時に係員から入手した近江八幡市内散策マップを載せることにする。

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兎にも角にも、お城へ行こう。

お城へは八幡山ロープウェーがあり、サクッと頂上付近へと行ける。お手軽感が良い。

 

ロープウェイを降りると早速石垣がお出迎えしてくれる。

 

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城跡には現在村雲御所瑞龍寺が建っている。

このお寺は八幡山(271.9m)山頂にある八幡城本丸跡の寺院。日蓮宗。安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しました。そのため俗に、村雲御所と呼ばれています。のち、昭和36年(1961)に現在地に移されました。

滋賀県観光情報サイトより
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猫ちゃんもいた。保護猫がこの辺りには何匹かいるらしい。
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八幡山からは西に安土城跡や観音寺城跡がある。

次はその2つの城へと足を運びたい。

しかし、どちらも規模が大きくてかなり大変らしい。
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近江八幡は、どちらかと言うと街並みの方が有名だろうと思う。

重要文化財でもある近江商人屋敷や市立資料館などが建ち並ぶ。近江商人の質素倹約、質実剛健な暮らしぶりを感じられる。

 

街のあちこちに、飛び出し注意坊やが散見された。

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そんな街並みを通り抜けると八幡堀がある。

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この堀は、城の防御機能としての役割もあっただろうがどちらかと言うと街の人々の暮らしに浸透している印象だった。

防御の荒々しい逞しい感じでは無いと言うのだろうか。

 

それは、この城の城主であった豊臣秀次が去った後に城が破却され、商人の街へと姿を変えた影響だろうか。

 

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八幡山からは琵琶湖や安土城観音寺城の山々が見られ、八幡山城主の秀次同様に戦国時代の夢の如く散っていった城主と城跡が集中しているこの辺りはなんだか儚さを感じる。

豊臣秀次の母の想いと、城亡き後の近江商人の息遣いを感じられる城跡だった。

 

こう言うのもまた良いもんだ。