そうだ、お城に行こう。
今回は本ではなく城を散策したので、記録を残そうと思う。
今回訪れたのは鉢形城。
比較的駅から近く、訪れやすい城だろう。
関東圏で、ここまでしっかり掘りや土塁が残っている城は少なく、かなり保存状態が良い城となっているそうだ。
訪れた日の天気は良好で、お城をまわるのにはうってつけだった。
鉢形城の最寄り駅、寄居に到着。
辺り一帯は何もない。
駅を降りたが、駅前には廃業して何年か経っていそうな大きめのスーパー跡地があった。
静かな田舎町という感じだったが、駅前の歩道を工事しており新しいタイルに張り替えている様だった。
駅から鉢形城までは、徒歩15分程で荒川を橋で渡った先にある。
対岸から見た様子では、小高い崖になっているなーという感じ。
確かに荒川の川幅が思った以上にあり、天然の要害感が漂う。
橋を渡って急に現れる鉢形城址石碑
この石に刻まれてる城名が、どこの城に行っても見た瞬間テンションが上がる1つである。
道路のすぐ横なのだが、意外と交通量が多く、カメラ片手に写真を撮っているおじさんは自分1人だけのため、恥ずかしかった。
笹曲輪
橋を渡りすぐが、笹曲輪という場所。
本丸跡
平坦な部分がかなり広く取られており、往時は館が建てられていて対岸から見たらかなり堅固な作りになっていたんじゃないかと思われる。
本丸側から見た荒川(寄居駅方面)
木が生い茂っており展望が悪いが、木が無ければかなり見渡しが良く対岸は丸見えになる。
本来は外側から見ていきたいが、駅からの順路だと本丸側から入る為、順番逆になってしまう。
その後は、歴史資料館へと足を運んで行く。
途中に、立派な氏邦桜と言う桜の木があり、さらに城内を流れる川もあった。
氏邦桜(町指定天然記念物エドヒガン)
城内を流れる川(深沢川)
そして資料館に着いたが、資料館前には三つ鱗の北条氏の家紋が陣幕の様に靡いた休憩場所があった。
平日ということもあり、ほぼ人が居らず独り占めして、三つ鱗の旗が風で靡き、鳥の囀りが聞こえる。
まさしく、癒しの空間と言うものだろう。
贅沢である。
歴史資料館の休憩所
資料館内部は撮影禁止
鉢形城の歴史と、年表、歴代城主、鉢形城全体の模型があり、映像と一緒に各設備がどういう役割を果たしていたのかという解説があった。
そして、特別展で個人所有されている各地の武将の兜と甲冑、刀などが展示されていた。
ほおおおお!!こんな埼玉で、地元武将の兜が見れるなんて
と運命って思いながら楽しめた。
資料館はかなりコンパクトで、30分くらいで見られる良いサイズ感だった。
その後、資料館を後にして外曲輪、ニ、三ノ曲輪を散策。
土塁
馬出
だだっ広い広場にポツンと看板。
ただ、周りは堀がかなり深く作られており、建物が建てられていたらかなり見応えがありそう。
近くでは、寄居町の職員の方が発掘なのか土木作業をされており、もっと整備されていくのかと思われる。
ニノ曲輪
ひと通り鉢形城を堪能出来た。
この地は交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点であった。
1476年に関東管領山内上杉氏の家臣 長尾景春が築城。後にこの地の豪族、藤田康邦に入婿した北条氏康4男の氏邦が整備拡張し、現在の大きさになる。
関東地方においては有数の規模を誇り、北関東支配の拠点として、更には甲斐、信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担った。
1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、1ヶ月余りの籠城の末、氏邦は城兵の除名を条件に開城した。
その後徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の家臣が代官となりこの地を統治した。
【鉢形城の歴史】パンフレットより
お城を回ってみて、北国軍3万5000が、3000の籠る鉢形城へ攻め寄せてきた事を考えるとゾッとする。
ただ北を荒川に守られ、南、西、東も各曲輪で堀も深くあったのを目の当たりにすると、援軍があれば何とか10日くらい持ち堪えられるんじゃないかと思えるぐらいかなり大きな規模のお城だった。
氏邦が整備拡張を行ったこの規模の城でも多勢に無勢で、援軍も無いとなるとどうしようも無いのだと考えるとやるせない気持ちにる。
氏邦は1ヶ月の激しい籠城戦の末に開城をするが、どんな思いだったんだろうか。
その後、鉢形城は1590年に廃城となる。
どこの城でも感じるが、威風堂々とした城がそこにあったんだと考えると切なく感じ、またその往時の姿を見たいと思わされる。
お城散策に満足して帰ろうかなと思った時に、城の対岸に公園(雀宮公園)があり、見に行ってみると丁度時期的にもみじが真っ赤に染まっておりとても綺麗だった。
この時期に訪れて良かったと思う。
日帰りで見て回れる丁度良いサイズ感のお城探訪であった。