あぁ長良川、長良川。

30代始まりと共に経験、技術無しサラリーマンの現状を垂れ流します。

お城探訪【三春城】

そうだお城に行こう。

 

今回訪れたお城は三春城

メディアで三春城は桜の名所だと聞いた事がある。

今年の秋は暑いから、ワンちゃん桜が勘違いして咲いている可能性を信じて向かうことにした。

 

まずは、東北新幹線郡山駅に降り立つ。

13時半到着。

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「こんにちは郡山。」

 

そんでもって、すぐにお昼ご飯。

駅中にある福島のお料理屋さん【もりっしゅ】さんへ行き、川俣シャモを使った親子丼を注文。

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卵とろっとろで、親子丼じゃなくて卵かけご飯食べてるんじゃないかと思うぐらいで卵も濃厚、鳥も噛むと旨味がジュワッと出てとても美味しかった。

 

さて、もう昼で時間もない為、さっと磐越東線で三春へ向かう。

でも、皆さん気をつけて頂きたい。

電車1時間に一本しか無い。

これは本当に時間を確認してから行くことをお勧めする。

というか、電車じゃなくてレンタカーとかで行くべきかもしれない。

 

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14時半頃到着。

「こんにちは三春。」

駅前は何も無い。

歩いているのが自分だけで、恥ずかしくなるぐらいの雰囲気を勝手に感じた。

 

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駅から歩いて20分くらいある。

あと、めちゃくちゃアブラムシ飛んでる。

 

当日の日の入りが16時半である為、時間が無いことに気づき急いでまずは歴史民俗資料館。

 

資料館は三春城跡の反対にありました。ちょっと坂道になってる。

三春城の歴史の部分の展示のみをサクッと確認して、直ぐにお城へ向かう。

(三春の生活とか産業のコーナーもあったよ。)

※ここで、三春城の地図の案内があるので先に資料館に寄ってから登ったほうがよりわかりやすくて良い。

 


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これは、資料館にもコーナーがあったが福島県における自由民権運動の発祥の地との事で、その主導者であった河野廣中氏の銅像

 

我が故郷、岐阜でも板垣退助が演説中に刺されて

「板垣死すとも、自由は死せず!!」

って言ったか言わないかはさておき、板垣氏の銅像がある。

詳しくは見れていないので、後程調べてみるのも良いかもしれない。

 

かなり日差しが傾いている為、急ぎ三春城へ行く。

 

ここで先に三春城全体の地図を載せておこう。

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しかし、罠がある。

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※①

これ、この門の奥が学校になっている。

近づくとこの先学校敷地内の為、立ち入り禁止と看板がありここからは入れない。

 

来た道を引き返し、御城坂から入城する事が判明。

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※②

写真撮り忘れたが、ここの坂30度くらいの傾斜でキツかった。

はぁはぁ言いながら登る。

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※③

春には満開に桜が咲くであろう立派な桜の樹。目的であるワンちゃん桜は咲いてなかった。

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※④

三の丸、二の丸は余り人が入らないのか落ち葉いっぱいで、二の丸に公園があり誰にも遊ばれていない動物達の儚さが胸をキュッとさせた。

 

哀愁感じる、

 

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※⑤

本丸跡はかなり広くて、見晴らしも良かった。あの彼方に見える山は、何山なんだ。

夕焼けも相まって、なんだかおセンチな気持ちになりながら城跡を堪能出来ました。

 

麓の小学校の子ども達が後から集団で遊びに来てて、この子達の中にも大人になって地元離れた時にここで遊んだ事や景色が良い思い出になる時が来るのかなぁ。なんてしみじみ思う。

 

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ちな、この三春城の城主だった田村清顕の娘が伊達政宗正室になっている。

 

ちな、三春城は田村義顕が1504年に築き、隆顕、清顕と100年ほどこの地を収めたが、1590年豊臣秀吉の奥州仕置きにより田村家改易となり、一旦伊達家領となる。

 

ちな、翌年には蒲生氏郷の領地となり、蒲生氏の重臣が城代となって本丸周辺に大規模な石垣を築くなど城と城下町の整備をする。

 

ちな、その後は上杉家→蒲生家→加藤家→松下家と目まぐるしく城主が代わり、最終的に1645年に秋田俊季が55,000石で藩主となり以後明治維新まで11代の居城となる。

 

ちな、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わるが、新政府軍の攻撃を受ける直前に恭順して無血開城となる。維新後は建物のみならず石垣や礎石まで払い下げられ現在はかつての面影は埋もれた石垣と天然の要害の地を残すだけとなっている。

 

ちな、案内の文章を引用しております。

 

帰りに駅までの途中に菓子屋【儀同】さんがあったので寄り道して


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程よい甘さで美味しかった。

 

三春城は桜満開の春に行くとより楽しめそう。