あぁ長良川、長良川。

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柴田勝家 織田家の総司令官 和田裕弘

どうもこんにちは僕です。

本日の本はこちら

 

 

 

柴田勝家の実像に迫る書籍となっている。

 

家老として織田家を支えていた勝家ですが、特に北陸地方の総帥として活躍。しかし最終的に羽柴秀吉賤ヶ岳の戦いで敗れ、そのまま本拠地北ノ庄城で自害という最後でした。

 

敗者は往々にして、勝者に真実を捻じ曲げられて後世に伝えられるもので。

 

だけども、柴田勝家は違うだろうと思う。

信長から北陸地方を任された地方司令官なのだから、そんな勝家の活躍が存分に書かれた本だ!

是非勝家派の人は見てほしい。

 

そんな本の内容の中で自分がコレは!と思う勝家の活躍した部分を抜粋して記載したいと思う。

 

勝家さんと言うと、軍事面で強く猪突猛進の武辺者のイメージが強い。

「瓶割柴田」「鬼柴田」

と後に言われる逸話は、南近江の元領主であった六角承禎、義治親子が一揆を煽動し、勝家の籠城する長光寺町を攻囲した。この城は水の補給が困難な為、唯一の水の補給路を断った。この危機に勝家は城兵を集めて、城内にある水瓶はこの3つのみと打ち明け余力のあるうちに決死の戦いを挑むべしと鼓舞し、3つの水瓶を打ち割る。翌日には長光寺城を出撃し六角氏を討ち破り勝利をした。この話からこの異名が付けられたという。

 

1571年8月浅井氏の小谷城攻めと並行した一揆討伐にも従軍。勝家は先鋒として余呉、木之本まで放火し翌日帰陣。退却時に追撃を予想した信長は重要な役割である殿軍には勝家を指名、案の定敵方が追撃した方が勝家は3度まで返し合わせて追撃軍を撃退。

甫庵信長記には「今度に限らず大事の殿いをば、この柴田にぞ仰付けられからに、毎度利を得る事のみにして、失う事は無かりけり」と絶賛されている。

 

 

信長が行った合戦にはほぼ出席している武将だけに、そりゃ強い。

 

 

軍事面だけじゃない、ちゃんと統治もやってる勝家

北陸への領地替えの前は、1570年〜1575年に渡り、近江国蒲生郡に領地を持っていた。

しかし、一向一揆の勢力が強く、また長期にわたる六角氏の領国だった事もあり、この地域の支配は困難だっただろう。

更に河内国大和国での守備や長島一向一揆の従軍など多忙を極め領国統治に専念出来る環境でもなかった。そこから畿内までの外交や内政も行なっている。

 

毛利家の安国寺恵瓊の書状に尼子氏の再興を目論む山中鹿之介が勝家を通じて信長支援を取り付けようとしている内容が残っている。

 

 

完全に超過労働なのでは、、

 

仲良し3人が討死!この人らが生きてたら秀吉に勝っていたかもしれん!

 

1人目→和田惟政

甲賀の国衆。将軍義輝が暗殺された直後から、興福寺一乗院門跡となっていた義昭の庇護に努め、信長との折衝なども担当、義昭を将軍職につけた最大の功労者の1人。

上洛後には摂津三守護の1人として抜擢されたが、1571年8月、摂津守護の1人だった池田勝正の家臣だった荒木村重高山右近と郡山で戦い討ち死。

 

2人目→森可成

森蘭丸のお父さん。1567年から友好関係を続けていた本願寺顕如が挙兵。この挙兵と連動して浅井、朝倉軍が湖西を南下。宇佐山城を守備していた可成が小勢ながら両軍を一度は打ち破る。しかし、多勢に無勢、討ち死に。

 

3人目→坂井正尚

元は美濃斎藤家の家臣だったが、斎藤家滅亡後、信長に仕える。1570年の志賀の陣にて、朝倉軍の前波景当を討ち取るが正尚も討ち死。勝家と共に軍奉行と称される武将だった。

 

彼ら3人が討ち死にせずにその後も活躍を続けていれば勝家を中心とした派閥になり、山城大和守護を兼務した原田直政も加え、本能寺の変後、秀吉の出る幕も無かったかもしれない。

 

兎にも角にも勝家こそ誠の武士なり!!

1583年、秀吉軍が北庄城に攻め寄せる。勝家が長年かけて築城、天守は九重もある城郭である。

老人や女性しかいないなか、旗指物で城を飾り立てるなどの差配を見て、秀吉は近習の者どもへ「武将はかくぞ嗜むべきものなり」と褒め称えた。

最後を悟った勝家は秀吉軍に向かって「勝家の切腹の仕方を見て、後学にせよ!」と呼びかけ妻子初め一族を刺殺。勝家に最も親しい八十人余りの者が切迫し全員が死亡。

 

勝家は尾張時代から北陸時代とほぼ戦場に出突っ張りで最後まで戦い続けた武将だった。

敗者の常で残っている良質な史料が少なく、実像が見えにくいが織田家筆頭家老として、最後まで織田家への忠実な家臣として野心は感じられないが、秀吉の強烈な野心の前には守り一辺倒になってしまった感がある。これが勝家の限界だったのかもしれないが、

だからこその織田家筆頭 柴田勝家なんだろう!

 

是非とも勝家が辿った戦場を自分も辿ってみたいものだ。